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みんなのおもい
2025.03.11 心の中に“居場所”ができれば どこまでも自分の道を進んでいけるはず【東日本大震災から14年特集】
宮城県 石巻の町並み

2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今日で14年が経ちました。

日本全国の人たちが他人事ではないと感じ、自分に何ができるだろうかと思いを巡らせた大きな災害でした。あの日、居てもたってもいられず被災地に入り、手探りで子どもたちを支える活動を始めた人たち。町の復興が進んだ後も、多くの方々が活動を続け、この地で支援団体を立ち上げた人も数知れず。その思いに賛同した次の世代の若者へと受け継がれ、“新しい教育の形”が広がっています。

全国の教育関係者が視察に訪れるほどに成長する、被災地で培われた「子どもたちの自立と挑戦に繋がる教育」

宮城県石巻市の「一般財団法人まちと人と」で働く野内杏花里さんのお話から、少子高齢化時代の今、子どもたちとって何が必要なのかを考えたいと思います。

一般財団法人 まちと人と 野内 杏花里(のうち あかり)さん

東京都出身。山形にある東北芸術工科大学 コミュニティデザイン学科に入学し、子どもの居場所づくりについて研究。宮城県石巻市の子ども支援団体で、ボランティアとして居場所づくりを体験しながら、子どもが自分の道を自分で選択できる力を育むために必要なものは何なのかを模索する。大学卒業後は、石巻で活動をする「一般財団法人まちと人と」に入職。中高生の探究活動を支援したり、学校外での体験や出会いの機会をつくっている。

野内さんが子ども支援の道を選ぶまでの思いを綴った記事【東京で生まれ育った私が選んだ道 東北被災地 子どもたちの居場所づくり】そして、【東日本大震災の記憶がない中高生彼らにいま必要な“越境体験”】も合わせてご覧ください。

自信を持てた経験こそが 自分の中の“居場所”になる

ーー普段は、高校の探究学習や、ボランティアプログラムに参加する高校生のサポートをされているそうですね。今の高校生は、震災を経験していますが記憶に残っている人が少ない世代。幼い頃は仮設住宅で過ごした人もいます。高校生たちと接する中で大切にされていることはありますか?

野内さん:被災経験は各家庭様々で、その影響があるのかどうかはわかりませんが、探究学習に取り組む姿勢も様々です。探究学習のテーマは、基本的には自由です。取り組む中で、自分がやりたいことに気づいたり、住んでいる地域の魅力を発見したりも。今後生きていく上で役立つことを得る大きな機会になると考えています。

そのため、自分の中で何かを最後までやり遂げた経験や、納得感を持って取り組めることを大切にしています。

ーーやり遂げた経験と納得感。

野内さん:自分がやりたいと思う気持ちは、取り組むときのモチベーションに繋がりますし、行動に大きく影響を与えると思います。

石巻市内の高校で探究の授業のサポートに入る野内さん。

野内さん:たとえ成し遂げることができなかったとしても、最後までやり抜く力。自分の中で納得感を持って取り組んだ経験があると、それが自信となって、次に新しいことをするときに「自分もできそう」と思えたり、「私もやってみたい」と発言ができたり。どんどん外に向かって出ていくような行動に繋がります。

自分がやりたいと思って取り組んだことは、楽しんでできることが多いです。私が所属する「一般財団法人まちと人と」では、人とつながり続けながら、自分自身も楽しんで主体的に自己実現できる人を育てていくことを目指しています。こうした力は、おそらく将来どこに行っても役立つスキルになると思いますし、そういった人は、石巻の外に出たときにも重宝されるでしょう。

ーー確かに、仕事においても、楽しんでいる方と一緒に働くと、周りのみんなのやる気も上がっていきますね。仕事のクオリティも上がるように思います。

野内さん:そうなんですよね。“自分が楽しむ”ということは、私たち支える側にとっても必要だと思います。

大学時代に石巻のNPOで居場所づくりの研究をさせてもらったのですが、研究の中で、支える大人がまず楽しむことが大事だということに気づいて。いま探究学習の中でも、「ジェネレーター」という立場の大人が重要な役割を担っています。子どもたちが創造する過程で、ジェネレーターは、自らも参加して悩み、アイディアを出したり、一緒に探究することを楽しみます。その存在が、場を盛り上げ、仲間のやる気を高めたり、新しい創造が生まれることに繋がっています。

ーー大学時代の研究の中では、野内さんもジェネレーターとして活動をすることもあったのでしょうか?

野内さん:はい。実際に担当してみて、ますますこの立場が重要なことに気づかされました。

ーー例えば、どのようなことが良かったですか?

野内:不登校ぎみの子どもたちと一緒に芸術祭を企画したことは、心に残っている経験の一つです。子どもたちと日々過ごしながら、絵を書くことがすごく得意だったり、物を作ったりすることが好きな子たちが複数人いることに気づいて。発表してみんなに見てもらう機会があるといいかもしれないと思い、スタートした企画でした。

ジェネレーターの自分が楽しみながら、子どもたちと一緒にアイディアを出していく中で、他のボランティアの方々にもその様子を見てもらいながら巻き込んでいきました。

ーー結果、どのような芸術祭になりましたか?

野内さん:NPOに関わる人たちをお招きした小さな芸術祭ではありましたが、誰かに見てもらえる機会って、こんなにも大きな影響を与えるんですね。普段はあまり前に出ず、時折ふさぎ込んでしまうようなことがあるお子さんが、力作の動画を作ってきて。この動画を見てもらうためにはどういう展示にしたらよいのかを一緒に考えました。「パネルをつくったらカッコよく見せられるんじゃない?」といったように、私自身も提案をしたり。そのお子さんは、会場に来てくれたお客さんに、「この動画はこれこれこうで…」と説明をしている姿を見て、こんなふうに自分のことを喋ったり、自信を持って話すことができる子だったんだと感動しました。

大学時代、研究のため「NPO法人TEDIC」が運営する居場所づくりのボランティアに参加。子どもたちと一緒に企画した芸術祭のひとこま。

野内さん:今後の人生において、あのとき動画をつくって発表できたという思い出が、自分のスキルとして自信を持てる経験となってくれたら嬉しいですね。小さな経験でも、自分の中で納得感を持てたり、やり切ったことが心の拠り所になったり。自分の中で、“居場所”となって、困難に立ち向かうときにも支えてくれるかもしれないと思いました。

ーー経験が居場所になる。すごくいいですね。 

野内さん:そうですね。具体的な場所だけが居場所ではないと思うんです。自分の中に居場所があれば、どこに行っても大丈夫だと信じています。

東日本大震災で始まった東北の子ども支援 これからの日本の文化に

ーー2024年6月、宮城県気仙沼市に、東北を中心に子どもの伴走支援をしている約60人が集まり勉強会が開かれました。野内さんも参加されたそうですが、いかがでしたか?

野内さん:私自身、子どもたちの探究学習の支援を始めてから2年ほど。まだ経験が浅いこともあり、自分のやり方が合っているのか現場で悩むこともありました。

ーー悩みながらされているですね。

野内さん:答えが一つではないので、日々葛藤しています。私がサポートしている探究学習でも、ボランティアプログラムにおいても、「やる意味があるのか」となかなかやる気が起きない子もいるので。私自身、まだまだ経験もインプットも足りていないなと思うことがあるので、同業のあらゆる世代の人たちと一気に話せる場があったのはありがたかったです。

2024年6月、東北を拠点に探究学習の支援をしている人が集まって学びを深める「伴走者合宿」が開催。20代から60代まで60人ほどが宮城県気仙沼市に集結した。

ーー何か気づきはありましたか?

野内さん:同業他団体の仲間がやっている方法をインプットすることができて、自分でも試してみようと思えたり。意外とベテランの先輩と私の悩みが似ていることもあって、安心感も生まれました。正解がない世界で、今やっていることでいいんだなと自信を持てたことは大きかったです。

伴走者合宿の様子。ワークショップデザイナー相内洋輔さんによる企画などを通して、他団体の子ども支援をする人たちがお互いの考えを共有しあう2日間となった。
宮城県女川町で「一般社団法人まちとこ」が運営する「女川向学館」中高生を対象に放課後に学習を支援したり、将来の相談に乗るなど、地域の子どもたちの拠り所となっている“サードプレイス”。教育関係者の視察も多い。
2022年に開所した福島県楢葉町にある「ならはこどものあそびば」放課後の居場所が少ない地域で、“あそび”を通した地域と子どもたちの交流の場となっている。こうした新しい子どもの支援活動が、今も東北で生まれている。

野内さん:東日本大震災の発生直後に被災地に入られた皆さんは、何もなくなってしまった場所で、昨日よりも良い状態を目指して復興する状況から奮闘をされていました。そして、町が復興したから終わりではなく、子どもの居場所や教育のあり方について考え続け、継続していくことが大切だと信じながら、この14年間やってこられたんだと思います。

ーーそうですね。

野内さん:私が東北に来てからときどき耳にしたのが、「震災がきっかけで、子どもたちの居場所ができてよかった」という声です。震災の前から課題だったことが、震災をきっかけに浮き彫りになり、そこに支援が届くようになった。災害の有無は関係なく、全国にそういった地域は多いと思うんですよね。だからこそ、一時的なものではなく、ずっと続く居場所であったり、応援してくれる大人の存在は必要で。誰かが共感して引き継いでいくことで、その取り組みは文化となって残り続けていきます。

ーー野内さんもその一人ですね。

野内さん:そうですね。私自身、震災があったからではなく、大学時代に石巻という地域に興味を持ち、卒業後も子どもたちや地域の人たちに関わり続けたいという思いで移住しました。同業の同世代を見ていても、次のフェーズに移行しているように思えます。

ーー次のフェーズですか。

野内さん:14年間で培われてきた“新しい教育の形”に、価値を感じて東北に来ている人が増えているように思います。私たちはその価値を「文化」にしていけるように。震災があったからできたことだよねと片づけられることなく、東北での取り組みが全国にも広がってほしいです。

東北の人たちにとっても、東北を見守ってきた全国の方々にとっても、その動きが将来の希望となっていくと信じて。これからも子どもたちとともに新しいことにチャレンジしていきたいです。

取材・文 石垣藍子


14年前、子ども支援の仕事を始めて間もなかった代表の今村や同業の仲間たちが、震災直後の被災地に入って子どもたちと接する中で、「この子たちが自分の足で生きていけるようになるまでは長い期間支援をする必要がある」と考え、ハタチ基金を設立しました。活動が14年目を迎えた今、東北の地域に根付いて活動をする子ども支援団体が、今後も継続的に活動ができるように、皆さんからの寄付を届けています。ハタチ基金の残りの活動期間は6年。その間に、持続可能な文化へと成熟していけるよう、皆さんからのご寄付、応援をよろしくお願いいたします。

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