明日は、東日本大震災の発生から12年。被災した地域で今も子どもたちを支え続けている助成先団体のスタッフに、震災への思いや現状を伺うインタビュー企画。
第5回目は、NPO法人トイボックスの高橋紀子さんです。
高橋さんが大学生の頃に経験した、阪神淡路大震災での被災地ボランティア。そこで直面した被災地支援のあり方に疑問を持ち、再び福島の地で子どもたちの心に寄り添う支援を続けています。
NPO法人トイボックス
「こどもとちいき」という軸で、さまざまな支援を行う。東日本大震災が発生した当初は情報がなかったので、自分たちに何かできることはないか探そうと、スタッフが現地に入りヒアリングを実施。その際、南相馬市の方から「子どもたちの居場所をつくってほしい」という要望があり、南相馬を中心に子ども支援の事業を始めた。高橋さんは臨床心理士として、現地で子どもたちに寄り添い活動を続けている。
■誰のためのボランティアなのか 直面した阪神淡路大震災
初めて「被災地」を目にしたのは、私が大学生の頃に起きた、阪神淡路大震災で被災した神戸でした。
当時マスコミ志望だった私は、未曾有の出来事を知ろうとボランティアで現地に向かって。そこで直面した課題は、ボランティアのあり方でした。
「支援」の名の元に土足で被災した方のスペースや心に踏み込む場面を幾度も見ました。そして私自身に課せられた傾聴ボランティアも、本でまとめることが先に決まっていて、誰のための活動なのかと疑問に感じながらも「NO」と言えないまま活動をしていました。
現場の苦しみや支える側の欲に触れ、被災地支援の実態は発展途上の分野であることを思い知りました。「お役に立てたら」という気持ちは下手すると何かに利用されてしまうこと、誰かを傷つけてしまうことも学びました。
そうした体験や学びを通し、本当の意味で被災した人の気持ちやペースを尊重した支援活動の実現を、自分の人生をかけて取り組む課題にしようと決めて今現在に至ります。
■震災の影響はいまも続いている
私の生まれた鹿児島県川内市には原子力発電所があります。地元では、小学生の頃に書く将来の夢に「原子力発電所で働く」と書く子どもも珍しくはありませんでした。人口の少ない地域に大手企業があることで地域が潤うありがたさ。社会科見学で知る最先端の技術に誇らしさも感じていました。
福島の原発事故は、私にとって他人事ではありませんでした。そのリスクを知っていたからどうにかなったとは思いませんが、自然災害の多い日本で経済的発展を目指す難しさは、次の世代に放り投げていいテーマではないと感じます。原発事故があった福島に関心を寄せ続けることは、被災した福島を支援するだけの話ではないと思っています。
私たちが活動の拠点とする福島県南相馬市は、東日本大震災で震度6弱の激しい揺れがあった地域です。沿岸部には津波が押し寄せ、福島第一原発から半径20キロメートル圏内に位置するこの地域は、警戒区域として避難指示が出されました。長らく住民全ての帰還は困難な状況が続いていましたが、2016年7月に一部区域を除いて、南相馬市への避難指示は解除されました。
「被災地の影響は今もありますか?」とよく聞かれます。
ある日突然家や家族を失い、地域全体が被災した時に、人生を再構築するのは並大抵のことではありません。被災した時に高校生だった世代が今の子育て層です。津波で家族を亡くしたある女性は、子育てに悩んだ時、我が子に「海に置いてくるよ」という言葉が不意に出てしまったと話していました。その女性の母親は、今も遺体が発見されないまま。海は彼女にとって家族を奪った場所であり、家族がまだいるかもしれない場所でもあります。
地震、津波、原発事故。その後を生きる人たちと共に生きる職業人生を。次の世代がのびのびと自分の人生を生き、安心して子育てができるように、福島での経験を伝えていけたらと思っています。