2017.08.03
2022年度に助成先に新しく加わった団体をご紹介する連載シリーズ。
今回は、認定NPO法人冒険あそび場-せんだい・みやぎネットワークです。
被災地域の状況にコロナ禍も重なり、屋外で自由に遊べる環境の重要性はとても大きくなっています。そんな中、身近な地域で遊んできた世代の人たちの経験を活かすべく情報収集や発信を行いながら、子どもの育つ環境に危機感を持つ地域住民等の力を引き出す形で、宮城県仙台市を中心に遊び場・遊び環境づくりに取り組んでいます。
冒険あそび場-せんだい・みやぎネットワークの斉藤信三さんよりメッセージが届きましたのでご紹介します。
斉藤信三(さいとうしんぞう)
1977年生まれ。静岡県函南町出身。2012年、東京都のNPO法人「プレーパークせたがや」から被災地支援事業スタッフとして冒険あそび場-せんだい・みやぎネットワークに長期派遣される形で仙台市に。2014年、派遣終了後もそのまま仙台に残り活動を続けることを決意、今に至る。誰もが持っている小さな遊び心を大切にして活動をしている。
コロナ禍も長期化するなか、被災地域の親子が身近なところで交流・体験できる屋外の遊び環境は依然厳しい状態にあります。そんな中、ハタチ基金からの助成をいただき、地域に暮らす人や関係者と連携しながら、遊び場づくり活動を続けています。遊び環境は外から来た人が一過性のイベントをしても良くはなりません。地域に暮らしてきた人の子ども時代に遊んできた経験や知恵を聞き、それを活かしながら、できるだけ地域の力を引き出すような形で取り組んでいます。
また、そうした地域の動きを下支えできるように、活動する人たちを増やし、次世代へ繋いでいくための場づくりや自治体施策の調査・提言なども行っています。
■当たり前だった“遊び”が失われた 震災から12年の被災地
被災地域では、震災発生から10年余りのなかで「復興事業」として、「安全」のための立派な防潮堤や避難道路等の整備、「持続可能な農業」のための大規模圃場整備などが進みました。その多くは必要なものだったのだろうと思いますが、一方で、震災前には子どもたちが生き物と触れ合っていたような環境は大きなダメージを受けています。
子どものいる世帯の多くが内陸に移転し友達が近所に少なくなったこともあり、自然豊かと言われる田園地帯でも子どもが身近な地域で遊び育てる状況はめっきり少なくなりました。田んぼにつながる用水路で生き物をつかまえたり、大人たちの生業を横に見ながら屋敷林もある住居まわりで遊んだり…。当たり前だったことが当たり前にはできません。そして、さらに心配なのは、そうした状況に子どもも大人も気づいていなかったり、疑問さえ持っていなかったりすることです。被災を経た人が、安全や日々の暮らしの維持を優先することは当然ですが、その陰で子どもが遊び育つ環境の価値を感じ大切にする人はわずかになっていると思います。
■地域の人たちと一緒に育む 子どもたちの“ふるさと”への愛着
全体としては大きなダメージを受けた、「子どもが遊び育つ豊かな自然環境」ですが、地域をていねいに見ていくと、まだまだ遊べる、工夫すれば遊べる、といった場所が残っています。そうした場所に注目し、遊び場活動を行うなどして、まずはその価値や可能性を示すところから始めています。
つい先日、かつて冬凍った時に子どもたちがスケートをして遊んでいたという水路の跡で、氷すべりをしようという企画を考え準備していたときのこと。地区の方から「水を張るんだったら、給水車を出してあげるよ」「毎年するなら、ちゃんと整備をしてやりやすいようにするか?」など、前向きな言葉をいただくようになりました。
“遊び場”開催の当日には、震災前この地域に暮らしていた人が子どもを連れて遊びに来る様子も見られました。また、地域出身の方が手作りで竹スケートを作り、「来年はこれをたくさん用意してやったらいい」と提案をしていただくなど、実際にアクションを起こすことで、「以前はやっていたけれど、今は失われつつある環境」の価値を見直す人の姿が見られています。
今後、見えてきた課題や可能性を発信しながら、社会の中に、子どもが遊び育つ環境に意義を感じる人を増やしていき、アクションを起こそうという人を応援していきたいと思います。また、必要に応じ、ハード面・ソフト面の両面で政策提言も行いたいと考えています。
■寄付者の皆さんへのメッセージ
寄付者の皆様、いつもご支援いただきまして本当にありがとうございます。
私は、地域の記憶と遊んだ記憶が結びついて初めて、「ふるさと」と呼べるものになると思っています。
皆様のお力添えをいただき、たくさんの子どもが地域での遊びを経験し、心の内に「ふるさと」を育むことができています。これからも応援よろしくお願いいたします。