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みんなのおもい
2023.02.09 地面が揺れ 亀裂が走ったあの日から 困っている人の役に立ちたいと迎えた転機【東北から3.11に思いを寄せて】
中学生の夏休み体験合宿にて、石巻市震災遺構門脇小学校を訪問

東日本大震災の発生から間もなく12年の節目にお届けするインタビューシリーズ。被災した地域で今も子どもたちを支え続けている助成先団体のスタッフたちが、12年前の3月11日にどのような体験をしてどのような思いを寄せているのか。インタビューを通して、東北の子どもたちの現状や課題も伺いました。

第4回目は、認定NPO法人キッズドアの對馬良美さんです。

震災当時、仙台市内のホテルに勤務しお客様の対応に追われた對馬さん。その後キッズドアでの仕事を始めるまでの思いと、今の子どもたちの課題を伺いました。

對馬良美(つしま よしみ)さん

認定NPO法人キッズドア

震災の影響を受けた世帯、経済的に困窮している世帯の中高生を対象に無料学習会を開催。これまで、仙台市や南三陸町の中高生に対し、年間450回以上実施し、延べ5,000名ほどが参加している。教科学習以外にもキャリア教育、体験活動、季節行事等を行い、子どもたちが様々な人と交流する機会を設けている。他にも、進路相談や奨学金などの情報提供にも力を入れ、活動は多岐に渡る。

■3.11で何もできなかった 当時の思いが残り子ども支援の道へ

ーー3.11は對馬さんにとってどのような出来事だったのでしょうか。

3.11の震災当時、私は仙台市のホテルで働いていました。震災の発生は、まさに勤務中の出来事でした。お客様を外に誘導し、職員も屋外に避難。地面は大きく揺れ、みるみる間に亀裂が入り、電線がグワングワンと大きく揺れていたのを覚えています。交差点では信号が機能していないため大渋滞となり、さらに突然の吹雪にも見舞われ、恐ろしい天変地異が起きたと感じました。電車は当分復旧しないと見込んで、停電の中ロウソクを灯し寝泊りする職員もいました。また自宅が心配だから歩いてでも帰ると言って、その後1週間行方不明になった年配の職員もいました。心配した家族が職場に来ましたが、その後自宅に帰る途中の避難所に身を寄せていて無事だったことが分かりました。

私の自宅では、家電や家財のほとんどが被害を受け一式買い替える必要がありました。テレビでニュースを見る機会も無くなり、どこで何が起きているのか分からない不安な日々が続きました。

その後、勤務先のホテルでは国の機関から派遣された救助・支援者の方々、メディア関係者、地元の社協やボランティアセンターなどの受け入れを始めました。自宅からの交通手段を断たれ出勤できない職員もおり、問い合わせや復旧に向けた施設の整備などの対応にも追われる忙しい日々が続きました。全国各地から支援が集まる中、私自身は日々の対応に追われるだけで精一杯でした。

慌ただしい日々が過ぎていき震災から3年が経つ頃、何か困っている人の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。あのとき何もできなかった。そんな思いが、心の片隅に残り続けていたからです。

でも、自分に何ができるのだろうか?

考えていたときに、子ども支援をしているキッズドアを知りました。震災直後は何もできなかった分、これから地元の子どもたちのために役に立ちたいと想い、長く活動を続けています。

■震災とコロナが子どもたちに影響を及ぼした 不登校児童の増加

ーー日々子どもたちと接する中で、今現在感じている課題はどのようなものでしょうか?

震災後、宮城県では不登校出現率全国1位が数年間に渡り続きました。現在、コロナ渦でも全国的に不登校が増えています。今改めて、交流や居場所の大切さを感じています。

また、地方では急速な過疎化・少子化により、明らかに子どもの人口が激減しています。小中学校も統廃合が進み、さらにコロナもあり、様々な人々との交流は以前よりも少なくなっているように感じます。

キッズドアでは、甚大な津波被害を受けた宮城県南三陸町や、内陸へ避難した方の多い仙台市で現在も子ども支援活動を継続しています。普段出会うことのない大学生や社会人スタッフと交流することで、子どもたちは良いロールモデルを獲得でき、目標ができたり、やる気が上がったりする中で将来の選択をしていっています。

震災、コロナ、人口減少などの様々な課題の下で、スタッフやボランティアの方々と連携をしながら、学習支援だけではなく、人々の出会い、特に体験の場を大事にし、これからも東北の子どもたちを応援していきたいと思っています。

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