写真:認定NPO法人カタリバにて(左:松本さん 右:高橋)
◼はじめに
・インタビュー記事のご紹介(ハタチ基金事務局)
今回は、助成先である認定NPO法人カタリバへのインタビュー記事を紹介します。インタビュアーは、高橋琴美さんです。高橋さんは、大学生だった2011年3月11日、福島で被災を経験しました。
埼玉県立大学院 保険医療福祉学研究科に在籍する高橋さんは、保育領域の研究者です。18年に保育のつながりから、認定NPO法人フローレンスにてインターン活動をされていました。助成先でもあるフローレンスが縁となり、「ハタチ基金の活動」に興味をもってくださいました。
ハタチ基金のコンセプトや助成先の活動に、とても真摯に向き合ってくださる姿にスタッフも胸を熱くしました。被災者であり、支援者でもある高橋琴美さんならではの視点でまとめられた思い溢れる5千字に及ぶ記事です。ぜひ、ご一読ください。
・インタビュー記事を書くにあたって(高橋琴美)
東日本大震災から8年が経ちました。この8年の間に、東北にはどのような変化が起きているでしょうか。
私は高校までを岩手県で過ごし、大学時代は福島県にいました。大学に入学したのは、2011年の震災が起きた年です。震災当時は被災地にいて、私自身も被災を経験しました。学生時には、大熊町の子ども達に、仮設の小学校を建設するお手伝いをしたりと、震災のケアと関わるようにしてきました。
大学を卒業し、大学院に入学するきっかけで、私は埼玉県に移住しました。移住を通して、私は、東北と首都圏に震災に温度差があることを感じました。歯がゆい思いを経験して、震災や東北復興への思いは封じこめようと思いました。
18年の夏、私は認定NPO法人フローレンスのインターンに入りました。そこで、ハタチ基金の活動を知りました。ハタチ基金は、フローレンスなど被災地の支援団体への助成を通して、2011年からの20年間、被災地の子どもたちに必要な支援活動をサポートするものです。
サポート内容は助成先団体によって様々で、そのひとつが認定NPO法人カタリバが行っている「コラボ・スクール」です。コラボ・スクールは、被災地の子どもたちのための放課後学校です。宮城県女川町、岩手県大槌町、福島県広野町、熊本県益城町の4箇所で、小学生から高校生までの子どもに心のケアと学びの場づくりを行っています。私は、カタリバが大切にしている、親でも先生でも、友達でもない、少し年上の「先輩」との「ナナメの関係」という考え方と、その理念に基づいて行われているコラボ・スクールの活動に感銘を受けました。
今回、縁あってお話を伺ったのが、認定NPO法人カタリバで勤務する松本真理子さんです。松本さんは、以前コラボ・スクールの女川向学館(おながわこうがくかん)で勤務されており、実際に宮城県女川町に住んでいました。宮城県の沿岸部にある女川町は、震災による甚大な被害があった地域です。
東北や子どもたちに対して思いはあるけど、何をしたらいいか分からない。そんな皆さんに、ハタチ基金の支援団体であるカタリバの活動、そして支援事業を行う人達の東北への思いを知って頂ければと思います。
◼インタビュー本編
「福島で被災経験をした私が、「認定NPO法人カタリバ」に聞いた東北とのナナメの関係づくり」
写真:女川の様子(2018年)
「今の東北がもつ力を伝える活動が大事だと思った」
—被災経験者側として、被災地でのコラボ・スクール運営についてのお話を伺える機会に幸運を感じています。まず、松本さんが「女川向学館」や「カタリバ」に関わった活動内容とその期間を教えてください。
2011年に震災のあと、認定NPO法人カタリバが女川でコラボ・スクールを始めると聞きつけたんです。ニュースにいてもたってもいられない気持ちになって。その時の仕事を辞めて、カタリバの職員として女川に行ったんです。
「女川向学館」で、2011年と12年の2年間活動した後、中央大学のボランティア・センターに勤め、2017年からカタリバに再び復帰しました。今は、寄付や広報の活動をしています。
—中央大学のボランティア・センターからカタリバに復帰した理由には、どんなきっかけがあったんでしょうか?
前職の中央大学のボランティア・センターでは、東北でボランティアをしたい中央大学の学生に、現地に行ってもらうためのサポートをしていました。少しでもたくさんの方に「その時の東北を経験をして、知ってもらう」ための仕事です。
ボランティア・センターでの活動を通して、「東北から生まれている力を東京に伝えたい」と感じたんです。女川を始めとする東北での活動から、「被災の経験が次の災害対策や社会に活きる事実が、一番被災した人たちの心の糧になる」と実感しました。
東北から、新しい知見がどんどん生まれているんです。最新の東北の現状を多くの人に伝える力が、今、必要で重要だと気づいて。自分のような東北と東京、両方を知っている人間が向いている役割だと強く意識したんです。 ボランティア・センターより、カタリバのほうが思考にマッチすると考えて、復帰しました。
—東北が東京を助ける側になれる可能性を感じていただいたんですね。うれしいです。現実は、東京と被災地の感覚の違いは大きいと思います。被災地と東京の違いをどう感じますか?
そうですね。13年に被災地から東京に戻ってきた時に、東京と女川の空気は全く違うと感じました。
女川にある被災地のリアリティが、東京にはもうすっかりなくなっていて。まるでパラレルワールドを経験したような感覚でした。すごく疑問というか、違和感というか……。なんとも表現できない憤りのような感情を覚えましたね。
何ができるかを考えて身近な人にSNSで伝えても、限界があると感じましたし。実際に被災地に来てもらわないとわからない感覚があると、もどかしく思いました。
—私も、福島から東京に来た時は、正直戸惑いました。3.11はまるでなかったかのような空気に、悔しさを感じたんです。松本さんが、同じような違和感を感じてくれていることに安心しました。
だからこそ、今しか見れない東北を、カタリバの活動を通じて多くの方に知っていただきたいんです。すごく大事な活動だと感じています。
写真:インタビュー中の様子(認定NPO法人カタリバにて)
「仮設の数は減った。しかし、復興は進んでいない」
—ここからは、東北の現状についてお聞きしたいです。
「仮設住宅の減少」のような単純でわかりやすい数値から、「復興」を感じる方が多いと思います。
実際、女川向学館に通う子どもたちの中で「仮設住まい」は、2018年はじめの頃で、1割ほどでした。大槌町のコラボ・スクールでも約2割ほど。2011年の8割が仮設住まいだった頃と比較すれば、造成工事は進んでいます。
ですが、私は「復興は、建物の再建が進んでいることだけではない」と思っています。
—造成工事の推進、例えば成果として「仮設住まいの数」が減っても、「復興は進んでいない」とは、具体的にどんな事象をおっしゃっていますか?
子どもたちへの心のケアに関して、物質的な復興のように目に見えて良くなったり、前に進むばかりではない状況が現実です。
震災後に生まれた子どもたちは、今、小学校低学年です。だからといって、「3.11のあの日を知らないから、何の影響もない」なんて簡単な状況ではありません。子どもたちが抱える不安な心を、多くの方に知っていただきたいと感じています。
仮設住まいの数は減っても、2011年より後に生まれても、2011年から何年も経って体は成長しても、子どもたちの心の中に「ふとした瞬間に、現れてくるかもしれない不安」が残っています。
震災で、街もご家族も大きな影響を受けました。普通の日常とは決して言い難い環境で、幼少時代を過ごした子どもたちです。大人が受けているストレスが伝わっていたりと、知らず知らずのうちに影響を受けています。
—震災後のどういった環境が子供たちにとってストレスになっているのでしょうか?
例えば、震災によって変化した登下校の環境です。震災前の日常は、友だちとおしゃべりをしながら登下校し、商店街のおじさん・おばさんが声かけしてくれる風景がありました。が、震災後、スクールバスでの登下校に変わりました。街は大規模な復興工事で大型ダンプカーなどが行き交い危険だからです。
子どもたちは、体も心もエネルギーを発散する機会を失ってしまい、誰も気がつかないうちにストレスを溜め込んでしまっているようです。また、仮設住宅の解消が進んでいても、街全体の工事が完了した状態でもありません。
テレビなどでは綺麗に整備された商店街だけを報道するケースも多々あります。しかし、一部の整備された場所は、あくまで復興の一場面にすぎません。
建物だけでなく、人と人の繋がりも含めた「コミュニティ」が機能しそこに子どもたちの居場所も内包され、良い循環が生まれるようになるまでには、まだ時間がかかると思います。
—私がいた福島大学も、図書館やグラウンドにはまっさきに復旧工事が入りました。でも、コミュニティに必要な学食や学内に手をつけられたのはつい最近です。若者や子どもたちが住みたくなる街に戻ることが、必要だと思っています。街から人がいなくなってしまいます。
そうですね。人口流出は多くの被災沿岸部の自治体が頭を悩ませている課題のひとつだと思います。震災前から徐々に進行していた過疎化が、このところ一気に進みました。
どの地域も人口流出問題に必死に知恵を絞っています。若手の起業家を支援したり、新しい街づくりに若者や子どもたちの声を取り入れたり、いろいろと工夫してます。
一方で、保健室登校や不登校の人数が減っていないと推察できる統計もあります。子どもたちの様々なストレスなど、環境改善に関する課題は山積みです。
実は、こうした課題は、被災地の子どもに限らず、全国の問題でもあるんです。
—「全国の問題」とは、どういった内容でしょうか?
東北での活動以前、カタリバは、高校に出向いて、出張型のキャリア授業を届ける活動が中心でした。が、被災地では「子どもたちと毎日接して、日常的な空間を創り出す活動」に取り組みました。
東北におけるコラボ・スクールの活動を通して、「コラボ・スクールの子どもたちが抱える悩みや課題の多く、例えば、もともと潜在していた家庭の経済力の差や人間関係、地域の特性などが、「被災」をきっかけとして表面化した」と気づきました。
「被災地」固有のものではない、どこの地域の子ども達にも共通する課題がたくさんあるんです。東北の経験から、現在のカタリバには、子どもたちを日常的に見守ることを目的とした常設の拠点があります。コラボ・スクール以外に東京や島根など、全国で8箇所に展開しています。
子ども達の抱えている問題は、どこの地域でも共通の課題で、全国共通しています。今カタリバが強く意識している課題です。
写真:女川向学館の様子
「みんな「生きる力」がある。大事なのは一緒に歩いていくという対等な関係を築くこと」
—被災地の子どもたちの心の安定のために、カタリバの活動は、どのように解決につながっているのでしょうか?
カタリバでは、子どもたちのマイナス面が現れたときに、原因を取り除いて解決するというような考え方はしていません。マイナス面というのは、例えば、”落ち着いて勉強できない”、”学校を休みがちになる”とか”人に乱暴な発言をしてしまう”などです。
子どもたちが抱える課題は家庭環境や学校、地域の特性などが複雑に絡み合っています。「ここを直せば、良い結果が出る」といったシンプルな状況ではありません。
加えて、人間誰しも浮き沈みがあるものです。前向きになって意欲が自然とわくときもあれば、わかっていてもやる気が出ず逃げ腰になるときもある。
だから、カタリバでは子どもたちに対して、浮き沈みがあっても安心して過ごせる場所を作っています。
居場所には、いつも彼らの様子に目を配り、気持ちに耳を傾ける、ボランティアやスタッフがいます。家庭や学校とも違う場所で、親や先生とも異なる「ナナメの関係」にあるお兄さん・お姉さんたちが、話をとことん聞くし、時には本気でぶつかり厳しいことも言う。
信頼関係を築いていくなかで、子どもたち自身の強さや前向きな気持ちを少しずつ引き出していく。意欲が高まれば、多少のストレスをも自分の強みに変えて、前に進むこともできます。
子どもたちの未来には、幾つものたくさんの壁が現れてくると思います。しかし、人生の壁をいつまでも大人が取り払う助けはできません。必要な力は、自分自身で壁を乗り越えていける心です。本来、子どもたちは壁を乗り越えるための強さや明るさ、プラスの力をたくさん持っています。
カタリバは「ナナメの関係」を使いながら、子どもたちのプラスの力に光を当てていくことで、震災や家庭環境、そのほか様々な困難を越えていけるようにしたいと思っています。
—ナナメの関係が大事なんですね。被災地に限らない視点でもお伺いしたいです。子どもたちの不安やストレスを和らげるために、必要なことや気をつけなければいけない留意点はありますか?
まず、やはり、安全安心な場づくりかなと。単純に物理的な話ではなく、子どもたちにとって「ありのままの自分を受け止めてもらえる」人との信頼関係があるという意味で、です。
被災地については、避難所や仮設住宅以外に、大人に遠慮せずに過ごせる場所が必要ですから、物理的な意味合いもありますね。
また、物事の新しい見方を知ることができたり、憧れのロールモデルと出逢える場であることも、子どもたちの前向きさを引き出すきっかけにはなります。
さらに、何か自分のやってみたいことに挑戦できる、ということも大切です。目標を持ち、努力し、時には失敗してみたり、ということを繰り返す中で、少しずつ意欲も高まっていきます。
—ありがとうございます。信頼を築くための「ナナメの関係」は、被災地でなくとも子どもたちにとって大事だと感じました。保育を研究する者として、とても参考になります。被災地で活動をするからこそ、必要で気をつけなればいけない視点などはありますか?
被災地でコラボ・スクールを始めるとき、支援される側・支援する側で分かれるような対極関係にならないよう、とくに意識していました。一般に伝わる表現がないから「支援活動」の一言でくくるしかなくて。できるなら、使いたくない言葉です。
東京の大学生や大人達と被災地の子どもたちの出会いによって、お互いの学び合いがありました。カタリバがつくった「対等な立場の中での学びの場所」が、当時、中学生だった子どもたちの不安を解消し、前向きな気持ちの糧になり、また、生きる力になったのではないか、と感じています。
—とても大事な視点だと思いました。私は被災者側も経験していますが、「してあげる」という姿勢のボランティアの方は、苦手だなあと感じたので……。
わかります。大学生のボランティア達も、基本は「学ばせてもらう」姿勢で現地に行きます。自分たちが何か「してあげる」という姿勢だと、先方に対して失礼だし、断られます。もっと関係は、対等です。女川に行った私のほうが、逆にたくさんの学びを得たのではないかと思っています。
実際、私たちのほうが学ばせてもらう側である姿勢や、新しいものを一緒に作り出したい気持ちがないと、うまく関係構築がいかないんです。
東北のみなさんには「生きる力」があるし、出来ることもたくさんある。力のある場所に、私たちが一方的な視点や思い込みで足を踏み入れていく形はうまくいきません。
対等な新しい出会いの中で、一緒に頑張る、一緒に歩いていく。対等な関係が大事だと、被災地支援をする方には伝えたいです。
コラボ・スクールの様々な進化が東北ではおきています。地域と協働するような最先端の教育の形をつくりだしていたり、地域や学校との新しい連携の形が生まれたり。個人個人の興味や課題意識に合わせた、色んなチャレンジを応援するような新しい学びの形も生まれています。今の東北は、新しい知見がたくさんある場所になっています。
—私も被災した大熊町で学習支援をした経験があって。当時を振り返ると、子どもたちの居場所づくりが、自分の居場所づくりでもありました。子どもたちの存在が、私の生きる糧にもなっていたんです。だから、関係性をとても大事にしました。今思えば、自然と対等な視点でいたから、「ナナメの関係」がうまくいったのかなと思いました。
今回、お話を聞けて本当に良かったです。東北は、新しいことにチャレンジするエネルギーで満ちているんだと感じました。「東北には、新しいものがたくさん溢れている」と私も伝えていきたいです。ありがとうございました。
・インタビュイー:松本真理子(認定NPO法人 カタリバ)
・インタビュアー:高橋琴美
・編集:ハタチ基金事務局
■東日本大震災発生時に0歳だった赤ちゃんが、無事にハタチを迎えるその日まで。ハタチ基金は20年間継続して被災地の子どもたちを支援していきます。
温かいご支援をどうかよろしくお願いいたします。