2016.05.11
2022年5月、宮城県の酒造メーカー「一ノ蔵」が寄付の贈呈式を行ってくださいました。
一ノ蔵は、東日本大震災が発生して間もなく、「特別純米原酒 3.11未来へつなぐバトン」をつくり、その売上金全額を毎年ハタチ基金に寄付してくださっています。この日いただいたのは11回目のご寄付です。長年継続的にご支援をいただき、スタッフ一同感謝の気持ちでいっぱいになりました。
贈呈式には、ハタチ基金の卒業生も出席。一ノ蔵を始めとする、多くの方々のご寄付やご支援のおかげで、進学を諦めずに勉強し、将来の夢に向かって挑戦している女川向学館の卒業生です。
今回は、一ノ蔵の鈴木整 代表取締役社長の思い、女川向学館卒業生の震災当時と今の思いをご紹介します。
株式会社一ノ蔵
宮城県を代表する酒造メーカー。東日本大震災で、本社蔵も被災。直後は酒造りの見通しが立たない中、県内外からの温かい支援のおかげで、復興への一歩を踏み出すことができた。その恩返しの気持ちも込めて、2011年12月に「未来へつなぐバトン 醸造発酵で子どもたちを救おうプロジェクト 」を発足。「特別純米原酒3.11未来へつなぐバトン」を発売し、ハタチ基金へ毎年寄付している。
岡みさきさん
震災当時は小学4年生で、4歳弟、0歳妹、両親とともに仮設住宅で暮らしていた。がれきがまだ撤去されていない中、外で遊ぶこともできずに、家と学校を往復する毎日。直後に、小学生から高校生を対象とした放課後の居場所、コラボスクール女川向学館ができてからは、勉強や友だちとの時間をそこで過ごすことに。現在、大学4年生。
ハタチ基金代表理事 今村(以下、今村):毎年毎年、こうして長く続けてのご寄付をいただき、本当にありがとうございます。長期で支援くださっている方々の思いを励みに、ハタチ基金も11年目を迎えることができました。
鈴木社長:今年も寄付ができて私たちもほっとしています。コロナ禍ということもあって、非常に酒造業界が厳しい状況にあるのですが、「特別純米原酒 3.11未来へつなぐバトン」に関しては、毎年のように応援するぞ!とお買い求めくださる方がいたり、全国の飲食店の方々のご協力もあって続けられています。東京のある飲食店からは、「今年もこのお酒飲まなきゃいけないからと言って、久しぶりに来てくださったお客さんがいた」といった嬉しい報告も届いています。
今村:本当にありがたくてとても嬉しいです。一ノ蔵さんの寄付は、日本酒ファンの方や飲食店、酒屋さんなど、たくさんの方々の思いが詰まったものなので、皆さんで一緒に子どもたちを支えてくださっていると強く感じますね。
卒業生 岡さん (以下、岡さん) :初めまして。私は、女川向学館を震災直後から利用させてもらっていました。震災でみんなが大変な時期に、女川向学館ができたおかげで勉強をするようになり、今、無事大学生活を送ることができています。
今村:女川向学館の運営も、ハタチ基金の寄付がなかったらできていないことなので、彼女が進学を諦めなくてすんだのも、一ノ蔵さんのおかげですね。
■仮設住宅で過ごした思春期 進学の目標ができた放課後の居場所
事務局 芳岡(以下、芳岡):震災当時は、岡さんは小学4年生で、一番下の妹さんは生まれたばかりでしたね。仮設住宅で家族5人、しかも乳幼児がいる中で思春期を迎えて、勉強も手につかない環境だったと思います。当時は、道は瓦礫が残っていて、大型トラックが何台も走っていたので、自転車に乗ることすら禁止になっていました。学校も徒歩通学ができずに全員バスで通学していたので、子ども同士で放課後に遊ぶこともできないし、塾のような場所ももちろんありませんでした。当時私は女川向学館のスタッフだったのですが、その環境で、高校、大学へと進学していった岡さんを見ながらよく頑張ったなと感心していました。
岡さん:女川向学館がなかったら、とても勉強ができる環境ではなかったです。わからないことがあって学校で質問しようと思っても、先生たちも何だか忙しそうでできないことが多かった。女川向学館のスタッフの人たちは、勉強も親身になって見てくれたし、将来の夢や進路の相談にも乗ってくれました。
芳岡:当時岡さんは、特別勉強熱心といった子どもではなかったですね(笑) でも、納得がいかないと取り組まないっていう芯のある子で、鋭い質問を私たちスタッフに投げかけてきていたのがすごく印象的でした。思春期の大事な時期を仮設住宅で過ごしていたと思うんだけど、当時はどんな風に感じていましたか?
岡さん:最初は早めに仮設住宅に入れて、すごくラッキーだったなと思っていました。でも、入居期間がどんどん延びていく中、普通の住宅に住んでいる子と比べたりして、なんで高校生になっても仮設で生活していかなきゃいけないんだろうと感じましたね。町が復興していっているのにどうして自分は仮設に住んでいるんだろうと疑問も抱えていましたが、誰かに言って解決できることではなかったので、誰にも言いませんでした。
鈴木社長:被災した子どもたちは、大人への配慮みたいなものを、自然と身に付けちゃってiいたんでしょうね。大変だったと思いますが、今こうして進学して楽しんでいることを聞いて安心しました。
芳岡:最後は猛勉強していましたね。夜遅くまで女川向学館で粘り強く勉強していた記憶があります。子どもって、いつスイッチが入るかわからないんだなぁと私たちも傍で見ていてびっくりしました。スイッチが入った時のために、後押ししてあげられる場所や頑張れる舞台を用意してあげることが重要なんだなと思いました。
■将来は地元をもっと魅力的にするために働きたい
岡さん:あのとき頑張って、今とても充実した毎日を送っています。当時は、寄付や支援ということがどんなものなのか知らなくて、ただ目の前のことに必死でした。私もお酒が飲める年になって、日本酒を作っている一ノ蔵さんが当時の私を支えてくれていたと考えたらなんだか感動しました。
鈴木社長:お酒飲めるようになったんだね。それもまた嬉しいですね!
将来挑戦してみたいことはありますか?
岡さん:最初は海外で働きたいと思っていました。その原点となったのが、「地元って面白くない」といった気持ちでした。震災の後、何もできなくなって、何も楽しくないと思っていたので、こんなところ出てやると思っていました。でも、高校生になって地元でアルバイトをしてみたら「地元はこれから先大丈夫かなぁ」と、急に不安に思ったんです。
鈴木社長:アルバイトを通して地元を知って生まれた気持ちだね。
岡さん:はい。調べてみたら、今後地方はどんどん衰退していくなどの問題があることを知りました。それを無視して、海外に行っちゃうなんて自分はできない。それで、地方創生という分野で自分も関わってみたいと思いました。
鈴木社長:それは素晴らしいですね。
岡さん:簡単には地方創生なんてできないし、地域のコミュニティもうまく作れないことが多いことを大学で学ぶ中、地域の特産物など、その土地その土地の食品を広めていくことで地域にお金が入ることが一つの良い方法なんじゃないかなと思い、今は就職活動は食品関係の企業を中心に見ています。
鈴木社長:私たちのお酒も同じです。震災のときは、ボランティアには行けないけど東北のお酒を飲んだり、特産物をお取り寄せしたりすることで東北を応援してくださる方がいました。食べ物やお酒などでも、地域を盛り上げたり、地方創生に繋がるようなことができるんですよね。
■被災者だった子どもたちが大人になり、被災した地域を盛り上げる中心に
今村:実は岡さんは今、女川向学館のスタッフとして、子どもたちに勉強を教えたり相談相手になってくれているんです。岡さんに限らず、ハタチ基金を通して支援を受けた子どもたちが、今子どもを支える側になったり、被災した地域を盛り上げていくような活動に関わっているんです。いわば、“支援の循環”が生まれている。こうした動きが自然と生まれていることを当時は予想していなかったし、つらい経験をした悲しみが、強さや優しさへと繋がっていっていると感動しています。
鈴木社長:本当にたくましくて感動しますね。私たちも少しでも関わることができて嬉しいです。一ノ蔵が被災したとき、全国の日本酒ファンが日本酒を買ってくれて助けてくれました。そして、「特別純米原酒 3.11未来へつなぐバトン」でハタチ基金を応援することは、その日本酒ファンからの受け取った暖かい気持ちを、ハタチ基金とその子どもたちに寄付という形で届ける、“恩送り”をしていると思っています。
ぜひ、岡さんも卒業生の皆さんも、これから色んなことにどんどん挑戦していってほしいです。
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