2013.06.15
2022年3月11日、東日本大震災の発生から11年が経ちます。この間、東北3県で活動する助成先団体で支援を受けた子どもたちは、少しずつ大人になり、社会に出て自分の道を歩み始めています。
今回の特別企画では、子どもたちがどのような思いでこれからの未来を切り拓こうとしているのか、「いまの思い」をご紹介します。第一回目は、岩手県大槌町のコラボ・スクール大槌臨学舎に通っていた髙木桜子さんです。
■家は流され、狭い仮設住宅で、 お刺身のように寝た
震災があったのは、 中学1年生のときでした。友だちの家にいて、 高台に避難しました。みんな転びながら必死で逃げて、上の方まで火が回ってきて…。なんとか体育館に避難できました。
海の近くにあった自宅は流出しましたが、幸いなことに家族は全員無事でした。家族は下に妹と弟がいて、 祖父母も入れて7人。仮設住宅は本当に狭くて、“お刺身のように”寝ていました。
コラボ・スクールは「行ってみたら」と親に言われました。同じ部活の友だちもいるし、じゃあ自分もと行き始めました。吹奏楽部の部長をしていて、吹奏楽が大好きだったので、放課後も友達と会えるな、と軽い気持ちでしたね。
■コラボ・スクールでの出会いから、東京への進学を考えるように
あるときコラボ・スクールのボランティアで、カナダの大学に通っているというお姉さんが来たんです。その方は高校を中退し、自分でお金を貯めて留学していました。小さい町の中ではそんな人に会ったことがなかったので、「そんな生き方があるんだ!」と、驚きましたね。部活の悩みも聞いてもらったりして、本当に憧れました。私も留学したり、海外の人と交流したりしてみたいな…って思いました。
でも、夢ができてすぐに行動したわけでもありません。
「高校を卒業したら、岩手県内の大学に進学かな」そんな風に漠然と思っていたんです。
ある日、カタリバのスタッフに「進路どうするの?」と聞かれ、「たぶん、県内の大学」と答えたら、「安易だなあ」と言われたんです。その言葉が心にひっかかりました。確かに、よく調べもせずにいた自分は安易だと感じたんです。
それで日本中の大学を調べて、自分のやってみたいことを考えたら、「国際観光」を学べる東京の大学を見つけたんです。大学で働きながら学費を支給してもらえる奨学金もあって、父の収入に頼りきりの我が家でも、ここならと思いました。
■働きながら大学で学び、留学したいという夢を叶える
大学生活は本当に楽しかったです。アメリカ、中国、インド、イギリス、フィンランド・・世界中から学生が集まってきていて、友だちがたくさんできました。その友だちを大槌に招いたこともあります。
もっと英語を学ぼうと、半年間イギリスに留学もしました。釜石で開かれたラグビーW杯では、英語での道案内や、郷土料理を紹介するボランティアもして、海外の方たちに感謝されるという経験もできました。
「こんな風に世界とつながれるんだよ」と地元の後輩たちにも知ってほしかったので、コラボ・スクール大槌臨学舎でインターンもしました。
■自分が応援してもらったから、今度は私が大槌の子どもたちを応援する番
震災から10年が経ち、大槌も復興が進んできたなと感じます。友達も町で就職したり起業したり、新しい町をつくりはじめている。私もみんなに負けていられません。
それに大槌の未来は決して楽観視できません。
今の人口減少のスピードでいくと、大槌高校はなくなってしまいます。
東京や海外で生活して、大槌の良さも課題も見えるようになりました。町の人たちや子どもたちが地域のことに目を向けて、もっと大槌を誇りに思えるような、きっかけづくりをしたい。だからカタリバの大槌拠点で 4 月から働くことにしました。
私はコラボ・スクールで将来の選択肢を広げてもらったし、自分の夢を応援してもらえたから。
私もそんな風に、後輩たちが頑張っていることを応援したい。
いずれは学んだことを活かして観光業の仕事もしてみたいけれど、今はまず、自分が育った大槌の力になりたいです。
髙木さんは、2021年4月から、地元 大槌町でコラボ・スクール大槌臨学舎の職員として社会人生活をスタート。東日本大震災で経験した悲しみを強さに変えて、今度は自分が地元の子どもたちを支えようと歩き出しました。皆さんからのご寄付無しでは、助成団体の活動を後押しすることができなかったため、心より感謝しております。
ハタチ基金では、震災から10年の節目に、「2031年 復興のその先を切り拓く力を、子どもたちに。」といったメッセージを発信しました。このメッセージには、残りの活動期間10年間で、東北の未来の復興を支える社会のリーダーを育てること、東北から社会を変える新しい仕組みをつくることを目指す思いが込められています。
東日本大震災で被災した地域の子どもたちを、みんなで一緒に支えていきませんか。